ローラースピードスケートはインラインスケートを履いて、だれよりも速く走る競技です。 トップスピードは60キロ近くまで上り、目の前を通り過ぎる選手はまるで風のように通りすぎます。
2009/02/04
2009/02/02
Info>Blizzard practice
2月度の練習日です。
2/7 クラブ練習(練馬)13:00~16:00
2/14 クラブ練習(熊谷)9:30~12:30
2/28 TEISS(熊谷)9:30~12:00
2/7 クラブ練習(練馬)13:00~16:00
2/14 クラブ練習(熊谷)9:30~12:30
2/28 TEISS(熊谷)9:30~12:00
2009/02/01
practice 2009/02/01
2009/01/30
2009/01/27
2009/01/25
practice 2009/1/25
【チーム】自主練
【場所】練馬総合体育館ローラースケート場
【天気】晴れ
【メニュー】
・体操
・ランニング
・ラダー
--------スケーティング-------
・プッシュ練習
・コーナー練習(スクール)
・おさえ 5周×5 2周×5
・スタート
---------陸トレ-------------
・縄跳び
・鬼ごっこ
2009/01/21
2009/01/18
practice 2009/1/17
2009/01/16
2009/01/12
practice 2009/1/12
2009/01/11
2009/01/08
Memories
なつかしいビデオを発見しました。
今の現役は生まれてないかな?
私が当時16歳でした。前年のアメリカでの初世界選手権(1985)では、ほとんどビリ状態でとても悔しい思いをし、その翌年のオーストラリアでの世界選手権(ロード)の映像です。一年練習し、少し実力をあげ順位を中間まで上げた大会です。
1986 World Speed Rollerskating mens 300m TT
この映像は300mの優勝者です。当時の私には、身長2メートル近くの選手がこれだけ速く走るのを見て、その迫力にびっくりしました。
(この年は、日本から2名の派遣。男子が私と女子が脇選手でした。)
1989 Worlds Mens 500m final
1989年、ニュージーランドでの世界選手権の映像ですね。少し、各国の選手に顔を覚えられたころですね。
このリンクはとてもバンクがきつく、バンクでの練習をほとんどしてない日本選手には、Difficultとしか言いようのないリンクでした。大会中2回転倒し右肩を脱臼した記憶が・・・
1989 Roller Speed Worlds Mens 1500m
この1500mファイナルレースは、いろいろな意味で私の岐路になったレースです。
私はセミファイナルまで駒を進め、あと一歩で映像の中だったかも??
セミファイナルでは、私がラスト1周でアタックをかけ優勝候補であったイタリアの選手ともつれる展開になり、バトルしてる間に“す~う”っとアメリカの選手が抜けて行ったレースでした。
ゴール後にアメリカチームが私に寄ってきて、「ナイスアタック」と話しかけてきた思い出がありますが、喜んで良いのか悪いのか、決勝に進めず悔しかった思い出いが残ってます。あと、イタリアチームには恨まれましたが、結果イタリアに留学する道が開けたレースでもありました。
今の現役は生まれてないかな?
私が当時16歳でした。前年のアメリカでの初世界選手権(1985)では、ほとんどビリ状態でとても悔しい思いをし、その翌年のオーストラリアでの世界選手権(ロード)の映像です。一年練習し、少し実力をあげ順位を中間まで上げた大会です。
1986 World Speed Rollerskating mens 300m TT
この映像は300mの優勝者です。当時の私には、身長2メートル近くの選手がこれだけ速く走るのを見て、その迫力にびっくりしました。
(この年は、日本から2名の派遣。男子が私と女子が脇選手でした。)
1989 Worlds Mens 500m final
1989年、ニュージーランドでの世界選手権の映像ですね。少し、各国の選手に顔を覚えられたころですね。
このリンクはとてもバンクがきつく、バンクでの練習をほとんどしてない日本選手には、Difficultとしか言いようのないリンクでした。大会中2回転倒し右肩を脱臼した記憶が・・・
1989 Roller Speed Worlds Mens 1500m
この1500mファイナルレースは、いろいろな意味で私の岐路になったレースです。
私はセミファイナルまで駒を進め、あと一歩で映像の中だったかも??
セミファイナルでは、私がラスト1周でアタックをかけ優勝候補であったイタリアの選手ともつれる展開になり、バトルしてる間に“す~う”っとアメリカの選手が抜けて行ったレースでした。
ゴール後にアメリカチームが私に寄ってきて、「ナイスアタック」と話しかけてきた思い出がありますが、喜んで良いのか悪いのか、決勝に進めず悔しかった思い出いが残ってます。あと、イタリアチームには恨まれましたが、結果イタリアに留学する道が開けたレースでもありました。
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