ローラースピードスケートはインラインスケートを履いて、だれよりも速く走る競技です。 トップスピードは60キロ近くまで上り、目の前を通り過ぎる選手はまるで風のように通りすぎます。
2009/01/12
practice 2009/1/12
【チーム】自主連
【場所】練馬総合体育館ローラースケート場
【天気】晴れ
【メニュー】
・体操
・ランニング
・ラダー
・縄跳び
--------スケーティング-------
・フォーム練習
・スタート
・その他
--------トレーニング--------
・おさえ
・フォームでのウォーキング
・スクワット
2009/01/11
2009/01/08
Memories
なつかしいビデオを発見しました。
今の現役は生まれてないかな?
私が当時16歳でした。前年のアメリカでの初世界選手権(1985)では、ほとんどビリ状態でとても悔しい思いをし、その翌年のオーストラリアでの世界選手権(ロード)の映像です。一年練習し、少し実力をあげ順位を中間まで上げた大会です。
1986 World Speed Rollerskating mens 300m TT
この映像は300mの優勝者です。当時の私には、身長2メートル近くの選手がこれだけ速く走るのを見て、その迫力にびっくりしました。
(この年は、日本から2名の派遣。男子が私と女子が脇選手でした。)
1989 Worlds Mens 500m final
1989年、ニュージーランドでの世界選手権の映像ですね。少し、各国の選手に顔を覚えられたころですね。
このリンクはとてもバンクがきつく、バンクでの練習をほとんどしてない日本選手には、Difficultとしか言いようのないリンクでした。大会中2回転倒し右肩を脱臼した記憶が・・・
1989 Roller Speed Worlds Mens 1500m
この1500mファイナルレースは、いろいろな意味で私の岐路になったレースです。
私はセミファイナルまで駒を進め、あと一歩で映像の中だったかも??
セミファイナルでは、私がラスト1周でアタックをかけ優勝候補であったイタリアの選手ともつれる展開になり、バトルしてる間に“す~う”っとアメリカの選手が抜けて行ったレースでした。
ゴール後にアメリカチームが私に寄ってきて、「ナイスアタック」と話しかけてきた思い出がありますが、喜んで良いのか悪いのか、決勝に進めず悔しかった思い出いが残ってます。あと、イタリアチームには恨まれましたが、結果イタリアに留学する道が開けたレースでもありました。
今の現役は生まれてないかな?
私が当時16歳でした。前年のアメリカでの初世界選手権(1985)では、ほとんどビリ状態でとても悔しい思いをし、その翌年のオーストラリアでの世界選手権(ロード)の映像です。一年練習し、少し実力をあげ順位を中間まで上げた大会です。
1986 World Speed Rollerskating mens 300m TT
この映像は300mの優勝者です。当時の私には、身長2メートル近くの選手がこれだけ速く走るのを見て、その迫力にびっくりしました。
(この年は、日本から2名の派遣。男子が私と女子が脇選手でした。)
1989 Worlds Mens 500m final
1989年、ニュージーランドでの世界選手権の映像ですね。少し、各国の選手に顔を覚えられたころですね。
このリンクはとてもバンクがきつく、バンクでの練習をほとんどしてない日本選手には、Difficultとしか言いようのないリンクでした。大会中2回転倒し右肩を脱臼した記憶が・・・
1989 Roller Speed Worlds Mens 1500m
この1500mファイナルレースは、いろいろな意味で私の岐路になったレースです。
私はセミファイナルまで駒を進め、あと一歩で映像の中だったかも??
セミファイナルでは、私がラスト1周でアタックをかけ優勝候補であったイタリアの選手ともつれる展開になり、バトルしてる間に“す~う”っとアメリカの選手が抜けて行ったレースでした。
ゴール後にアメリカチームが私に寄ってきて、「ナイスアタック」と話しかけてきた思い出がありますが、喜んで良いのか悪いのか、決勝に進めず悔しかった思い出いが残ってます。あと、イタリアチームには恨まれましたが、結果イタリアに留学する道が開けたレースでもありました。
2009/01/07
Japan Anti-Doping Agency
日本ローラースポーツ連盟もドーピング検査が?
どのスポーツでもローカルなスポーツ大会では、ドーピングについてあまり気を使ってないのが日本のスポーツだと思います。しかし、国際大会に出場する場合は、かなり気を使うのがこのドーピングです。
私も、何度か世界選手権でドーピング検査を受けました。国際大会では各レースの上位選手と抜き打ちに数名検査を受けます。レース直後の尿検査は大変でした。
栄養ドリンクや常備薬なども結構怖いんですよ。
アンチ・ドーピングとは?
ドーピングを禁止する理由は、大きく分けて以下の4つがあげられます。
(1) 選手自身の健康を害する
ドーピングは薬を使用する方法が一般的ですが、競技能力を高めるために使用される量と頻度は、病気や怪我の治療のために使用されるものとは比べものにならないほど危険だと言われています。本来の想定外の量と頻度で薬を使用することは体を壊してしまう危険性があるためにドーピングは禁止されています。
(2) 不誠実(アンフェア)
スポーツ界はドーピングに対してはっきりと反対の姿勢を示していますので、大会に参加するにはドーピング禁止規程を守ることが条件です。スポーツ界の参加資格としてみんなが守っている禁止規程を自分だけ密かに守らないで有利になろうとすることは非常に不誠実です。
(3) 社会悪
特に一流の選手には青少年に対する役割モデルが期待されています。選手が薬を使って一流になっているとなれば、必ずそれを真似する青少年が出てきます。選手が薬まみれにならなければスポーツが成り立たないのであれば、スポーツ文化は間違いなく世間から葬り去られます。
(4) スポーツ固有の価値を損ねる
スポーツは、スポーツを「する」「見る」「支える」「知る」といった様々な関わりを通じて、「倫理観、フェアプレー、誠意、健康、優れた競技能力、人格と教育、喜びと楽しみ、チームワーク、献身と真摯な取組み、規則・法規への敬意、自他への敬意、勇敢さ、共同体・連帯意識」というものを我々に培わせてくれます。さらに、スポーツは、我々の日々の生活に潤いと活力を与え、人生をより豊かなものにもしてくれます。
このようにスポーツは、世界中の人々にとって非常に貴重で、普遍の文化財産なのです。
そのため、いくら世界記録を出したり、良い成績を残したとしても、ドーピングに手を染めた競技者は、人類の大事なスポーツの存在意義を否定したということで絶対に認められません。
ドーピングは、健康への害、不誠実、社会悪といった「悪」につながるだけでなく、スポーツの価値や意味そのものを「否定」してしまうからこそ禁止されており、ドーピングから『スポーツを守る』という意識こそがアンチ・ドーピング活動の根幹だと考えています。
どのスポーツでもローカルなスポーツ大会では、ドーピングについてあまり気を使ってないのが日本のスポーツだと思います。しかし、国際大会に出場する場合は、かなり気を使うのがこのドーピングです。
私も、何度か世界選手権でドーピング検査を受けました。国際大会では各レースの上位選手と抜き打ちに数名検査を受けます。レース直後の尿検査は大変でした。
栄養ドリンクや常備薬なども結構怖いんですよ。
アンチ・ドーピングとは?
ドーピングを禁止する理由は、大きく分けて以下の4つがあげられます。
(1) 選手自身の健康を害する
ドーピングは薬を使用する方法が一般的ですが、競技能力を高めるために使用される量と頻度は、病気や怪我の治療のために使用されるものとは比べものにならないほど危険だと言われています。本来の想定外の量と頻度で薬を使用することは体を壊してしまう危険性があるためにドーピングは禁止されています。
(2) 不誠実(アンフェア)
スポーツ界はドーピングに対してはっきりと反対の姿勢を示していますので、大会に参加するにはドーピング禁止規程を守ることが条件です。スポーツ界の参加資格としてみんなが守っている禁止規程を自分だけ密かに守らないで有利になろうとすることは非常に不誠実です。
(3) 社会悪
特に一流の選手には青少年に対する役割モデルが期待されています。選手が薬を使って一流になっているとなれば、必ずそれを真似する青少年が出てきます。選手が薬まみれにならなければスポーツが成り立たないのであれば、スポーツ文化は間違いなく世間から葬り去られます。
(4) スポーツ固有の価値を損ねる
スポーツは、スポーツを「する」「見る」「支える」「知る」といった様々な関わりを通じて、「倫理観、フェアプレー、誠意、健康、優れた競技能力、人格と教育、喜びと楽しみ、チームワーク、献身と真摯な取組み、規則・法規への敬意、自他への敬意、勇敢さ、共同体・連帯意識」というものを我々に培わせてくれます。さらに、スポーツは、我々の日々の生活に潤いと活力を与え、人生をより豊かなものにもしてくれます。
このようにスポーツは、世界中の人々にとって非常に貴重で、普遍の文化財産なのです。
そのため、いくら世界記録を出したり、良い成績を残したとしても、ドーピングに手を染めた競技者は、人類の大事なスポーツの存在意義を否定したということで絶対に認められません。
ドーピングは、健康への害、不誠実、社会悪といった「悪」につながるだけでなく、スポーツの価値や意味そのものを「否定」してしまうからこそ禁止されており、ドーピングから『スポーツを守る』という意識こそがアンチ・ドーピング活動の根幹だと考えています。
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