ローラースケート部は昭和32年(1957年)にスケート部の一部門として創設された。その後、昭和44年(1969年)にローラースケート部として独立しました。また、昭和34年(1959年)の学生ローラースケート連盟創立にあたっては、中心的な役割を果たし、現在に至るまで、学生ローラースケート界のリーダー役となり、スピード競技、ローラーホッケー競技、フィギュア競技の全ての分野において、他の追随を許さない輝かしい戦績を残してます。ホッケー種目で平成5年に女子部を創部、女子部のインカレ総合優勝が可能に、現在まで総合優勝7回と歴史を築きました。 尚、現在は主にスピード競技とローラーホッケー競技を中心に取り組んでいます。
■男子 全日本学生ローラースケート選手権 総合優勝39回【50回開催】
■女子 全日本学生ローラースケート選手権 総合優勝7回
■全日本学生選手権
男子39回 (昭34,35,36,37,39,40,42,43,44,45,46,47,48,49,50,51,52,53,54,55,56,57,58,59,60,61,62, 63, 平2,6,8,9,10,13,14,15,16,18,20)
女子7回(平8,9,11,12,13,15,17)
■東日本学生ローラーホッケーリーグ戦
男子22回【50回開催】(昭35,39,40,41,42,43,44,49,51,53,54,62平2,5,6,7,8,9,10,11,12,14)
女子1回(平10)
■全日本スピード選手権大会 優勝者(9名)
■全日本ローラーホッケー選手権大会 3位以内(6回)
■全日本フィギュア選手権大会 優勝者(5名)
■国際試合出場者
・世界選手権出場 約100名(3競技合計)
・アジア選手権出場 約50名(3競技合計)
・オリンピック出場 3名 (ローラーホッケー)
日本ローラースポーツ連盟、東京都ローラースポーツ連盟、日本学生ローラースケート連盟や学校関係者など多くの方々に参加頂き、盛大なパーティーになりました。
実行委員の小玉さん、北村さん、横尾さんを初めOB・OGの皆さんお疲れ様でした。
専修大学のまめ知識
■大学の名称のいわれ
本学の前身専修学校は、1880年(明治13)9月に開設されたが、このとき創立者は、“創立主旨” を示して“力ヲ専攻ニ致サザルベカラズ”と宣し、各科兼修ではなく一科専修の専門学校をめざし、まず経済法律の2科をおき、“其他諸科ニ至テハ将サニ漸次計画スルトコロアラントス”といい、経済法律専修学校として開学した。専修学校とはこれの略称で、一科を専修し、一学を専攻して学問の蘊奥を究めさせるという方針を含意させたものである。
■日本初の経済専門学校
1880年(明治13)9月に開校した専修学校は日本最初の経済専門学校であり、私立法律専門学校であった。この当時法律学を教える専門学校は、東京大学の法学部と司法省の法学校の2つにすぎず、それぞれ英語・仏語で教授していたのに対し、わが専修学校は、邦語で教授するという画期的な授業を行った。
■スクールカラーについて
専修大学のスクールカラーはグリーンである。大学としてこの色を認可したのは意外にも新しく昭和55年のことで、創立100年を記念して校旗を新調した際に制定された。もちろんそれ以前から体育会のユニフォームやメガホンなどの応援グッズには緑が用いられ、専修大学のスクールカラーが緑であることは広く知られていたが、その起源については明らかではない。本学体育会によると緑を最初に使用したのは大正13年に創部した陸上競技部であった。緑が若々しさを意味するためとも言われている。また、昭和5年に山田耕筰の手によって作られた校歌は「緑の栄冠」(現在、ラグビー部の部歌)と名付けられ、「緑」という文字が冠されている。もう一つ、本学で使用されてきた配色がある。緑・えび茶・白という3色の配色である。今や正月の風物詩の一つとも言える箱根駅伝で、本学ランナーが掛けている襷は緑とえび茶地に白抜きで「専修大学」の文字が刻まれている。この配色は本学の校章や襟章にも見ることができる。昭和初期の校旗にはこの3色を配した校章が描かれていた。また、昭和40年に教職員や学生から公募して選ばれた現在の学生襟章には緑と白地にえび茶で「S」の文字が記されている。このようにスクールカラーのグリーンとともに、この3色の配色も古くから本学で使用されていたのである。
■勝海舟と本学との関係
創立者の一人、目賀田種太郎夫人逸子は、幕末から明治にかけての政治家・勝海舟の三女にあたる。その関係から1890年(明治23)7月26日第9回専修学校卒業式にあたり、海舟は自筆の書を贈って卒業生を激励している。
この書には
『律増甲乙之科以正澆俗礼 崇升降之制以極頽風』
と書かれており、その意は「法律は次々に多くの箇条を増加して(これによって)人情の薄い風俗を矯正し、礼は(堂の昇り降りなど)挙措進退のきまりを尊重して頽廃した風俗を止めるものである」という意味に解される。法律と道徳が相まって風俗の乱れを正すものと教え、法学生の使命の大きいことを説いたものであろう。
この書は創立130年を迎えんとする現在でも本学に大切に保管されている。